2018年8月27日 台湾旅行3日目 台北観光、国立中正紀念堂
次は、国立中正紀念堂に行ってみたいと思います。
台北駅からほど近く、観光名所としても有名なスポットです。
2008年に初めて台湾を訪れた際に観光した記憶があります。
台北 中正紀念堂駅
台北駅から地下鉄にのり中正紀念堂駅で下車します。
駅の名前で間違えることはないと思います。
台北 中正紀念堂観光
中正紀念堂 入り口
少し天候が悪くなってきましたが、雨は幸いにも降ってきておりません。
早速中に入ってみることにします。
中正紀念堂 国家劇場
近くで見るととても迫力があります。
ウィキペディアによると、
国家両庁院(二つのホール、シアターホールとコンサートホール、National Theater & Concert Hall、繁体字では國家兩廳院、旧称:国立中正文化中心)は、台湾の台北市にある総合芸術文化施設。1987年開館。
オペラ、バレエ、ミュージカル、演劇、管弦楽、室内楽、伝統音楽、京劇などの各種公演が開催されている。
中正紀念堂の敷地に2棟あり、中正紀念堂から見て左側が国家戲劇院、右側が国家音楽庁である。
建築設計は、圓山大飯店も手がけた楊卓成による。
日本からは、蜷川幸雄、宝塚歌劇団などが公演している。
中正紀念堂 入り口
しばらく歩くと中正紀念堂が見えてきました。
観光名所としても非常に有名なスポットです。しかし、非常に暑いです。
中正紀念堂 内部
中正紀念堂とは
蒋介石が1975年に死去した際、行政院(日本の内閣に相当)は全国民の哀悼の意を表すことを目的とする紀念堂の建設を決定し、同年6月26日に14人の政治家、文人、実業家からなる中正紀念堂建設委員会を設置した。同年7月、委員会は大局的な建設方針を決定し、また民間の専門家の意見を取り入れ、8月22日にはコンペティション要綱を公開した。その1年後、43組の応募の中から楊卓成の設計案が採用された。
中正紀念堂籌備小組籌備委員(後に中正紀念堂籌建指導委員会と改称)が建設準備を推進し、蒋介石生誕90年に当たる1976年10月31日に起工式が催され、1980年3月31日に完成した。蒋介石逝去5周忌の4月4日に併せて落成式が盛大に行われ、海外の3000名余りの華僑・華人が参加し、翌4月5日に一般公開された。
民進党政権下での「台湾正名運動」の影響で、2007年には「台湾民主紀念館」に改名され、入り口の門に書かれた「大中至正」の文字が「自由広場」に架け替えられ、儀仗隊交代式が中止していた時期がある。国民党が政権復帰した2009年に、再び元の「中正紀念堂」に戻る(ただし、「自由広場」はそのままである)。
中正紀念堂施設について
中正紀念堂の敷地面積は25万平方メートルに上り、日本統治時代の山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地跡地である。敷地中には本堂のほかに国家戯劇院や国家音楽庁、公園広場、休息所や回廊、庭園、池(光華池・雲漢池)なども併設されている。
本堂を始めとするこれらの施設は市民達の憩いの場となっている他、公園広場は政治的な集会の場として使用されることも多く、特に1987年の戒厳令解除後には学生運動やストライキの集合地点としてしばしば使用された。また、中正紀念堂の最寄駅である台北地下鉄の中正紀念堂駅はホームが中正紀念堂を意識したデザインになっている他、出入口も紀念館へ向かうことを配慮した設計となっている。
敷地の東側に位置する紀念本堂の面積は約1万5千m2で、建物の高さは70mにも及び、西にある中国大陸を臨むように設計されている。本堂正面には高さ30メートルの大中至正門と他2つの門があり、その内部はメインフロアと地階に分けられている。
メインフロアの奥には巨大な蒋介石の銅像が設置されており、銅像の上部には蒋介石の基本政治理念であった「倫理、民主、科学」という三民主義の本質が、像の土台には蒋介石の言葉がそれぞれ記されている。
日中は像の両脇で儀仗隊が警護しており、1時間ごとに交代の儀式が行われる。なお、フロアの天井の最上部には国章である「青天白日」の徽章が描かれている。ウィキペディアより
中正紀念堂 内部からの景色
かなり景色がよく清々しい気持ちになります。
この建物が台北市内の中心部にあるとは思えません。