函館の元町公園を散策しているところです。
今日はとても天気がよくて素晴らしいです。
函館 八幡坂
とてもいい景色です。海がとてもいい雰囲気出しています。
何かのイベントがあるようです。とても人が並んでいました。
アニメ系のイベントのようです。
旧函館区公会堂
旧函館区公会堂の前。
ここも時間の都合上、中には入らないことにしました。
旧函館区公会堂の概要
明治40年(1907年)の大火により、町会所が焼失し、新たな集会所の建設の計画が持ち上がった際、初代相馬哲平が50,000円の寄付を申し出て、明治43年(1910年)工費58,000円余りで完成した。新たな町会所の他、商業会議所事務所、ホテル営業も構想にあったが実現しなかった。
北海道特有の木造2階建ての擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館で札幌の豊平館と並んで、明治期の洋風建築として注目される。
左右対称のポーチを持ち、回廊で結ぶ中央にベランダを配し、左右のポーチにもベランダを持つ。屋根は桟瓦葺きで屋根窓を持つ。
ポーチの袖妻には唐草模様を配し、玄関や回廊を支えるコリント式の円柱の柱頭に洋風の装飾が配され、当時の日本人職人の洋風建築技法の習得意欲がうかがわれる。
本館の延べ床面積は1,761.308平方メートル(533.73坪)、付属棟は138.815平方メートル(42.06坪)である。ウィキペディアより
元町公園
ここも景色が素晴らしいです。気温も暑くないためとても快適です。
函館市 旧イギリス領事館
函館市旧イギリス領事館の歴史
イギリス領事館は1859年(安政6年)の開港に伴い同年9月称名寺の中に開設された。2回の移転を経て,1879年(明治12年)の函館大火後に,現在の元町に新築された。
1897年(明治40年)の函館大火の際に,函館からの移転問題が持ち上がった。しかし,当時のイギリス臣民保護、イギリス船舶への援助、イギリスの貿易利権促進と商業情報獲得などの職務関係上、総合的条件から函館が最適と判断された。
函館に在住のイギリス人は明治から昭和初期の間で20人前後にすぎず、貿易規模も神戸や横浜とは比較にならなかった。
他国に対してイギリスだけ函館に領事館を維持してきた背景には、極東をめぐる列強の力関係の中でイギリスが函館港を保持すべき港と位置づけていたものと推測される。
当時、函館には信頼できる病院や娯楽施設、レストランもあり、外国人を埋葬できる墓地もあった。ウィキペディアより
ここも残念ですが素通りすることにします。
次はロープウェイで函館山に行ってみようと思います。